この前、歯が勝手にどんどんかけてぃく夢を見ました。 しかも血まで流しながらどんどんかけてぃくのです。 私はすごく怖くて目が覚めた時夢だと気付きすごくホッとしました。
その日たまたま占ぃのサィトにぃくと夢占ぃがぁり、私はこの歯の夢のことが気になり、占ってみると歯が抜ける夢は自分の身に、歯がかける夢は身内に何か良くなぃことが起こると書ぃてぁりました。
私は占ぃとかそこまで信じるほぅではなぃのですが何かとても体がもゃもゃと嫌な予感がしました。
そして普通に学校に行きました。 休み時間に携帯を見るとメールが来てぃたので見てみるとぉ母さんからでした。 『ぉばぁちゃんが亡くなったけんぉばぁちゃん家に行ってくるけん。明日ぉ父さん達と来てね。』
『ぇッ!!?』 思ゎず声を上げてしまぃました。
私のぉばぁちゃんは十数年前、私がまだ小学生だった頃から原因不明の病気で、最初は左手が動かなくなってだんだん右手、足と不自由になり、ぃろんな病院に行ったけど病名はゎからず強ぃ薬の副作用でどんどん病状は悪化し痩せ細ってぃき、っぃに足は全く動かなくなり、検査のせぃで舌が短くなり、しゃべれなくなってしまぃました。 ここ2.3年はもぅ寝たきりになってしまぃ、食事も口からはできなくなって胃に直接管を通さなくてはぃけなくなりました。
だからぉばぁちゃんはもぅちょっと風邪を引ぃただけで肺炎になってしまぅし、しょっちゅぅ入退院を繰り返してぃました。
今までに2回心臓が止まり、なんとか持ちこたぇてぃました。
でも今回はもぅダメでした。 私はまだぉばぁちゃんが話すことが完全にできなくなる前は、ぉばぁちゃん家に行くとょく『ぉばぁちゃん、この前○○がぁったとって〜』と学校のことなどぃろんなことをぉばぁちゃんと話しました。聞き取りにくぃぉばぁちゃんの話も何回か聞き返してぃろんなことをしゃべりました。 ご飯も食べさせてぁげて『ぉぃしぃ?』と聞くとぃっも満面の笑顔で頷ぃてくれました。 着替ぇも手伝ったりして、ぃっも私の話で笑ってくれることがすごくぅれしかったです。 だからぉばぁちゃんと2人でゲラゲラ笑って 『なんがそんがんぉもしろかとね〜』 ってょくぉ母さんに言ゎれてぃました。
そんなことが次から次へと蘇ってきて学校の授業はろくに聞けませんでした。
今にも泣きそぅでしたが友達に心配かけるのが嫌で必死でこらぇてぃました。
学校が終ゎって妹に電話すると帰りのスクールバスの中でした。 『ぉばぁちゃんのこと聞ぃた?』 『ぅん。ぉ姉ちゃん、泣きそぅ。』 『泣くな。泣かんと。もぅちょっと我慢!!』 ぃっもふざけてばっかぃる妹からこんなこと言ゎれて私も泣きそぅでした。
次の日、ぉ葬式に行き、先に行ったぉ母さんに会ぅと目がぼてぼてに腫れてぃました。 そぅだょね。ぉ母さんはぉばぁちゃんがぉ母さんだもんね。 ぉばぁちゃんの病気治らんゃったね。 最後くらぃぉばぁちゃんとしゃべりたかったょね。
ぉ母さんはぉ葬式の間ずっと泣ぃてぃて涙でぐしゃぐしゃでした。
ぉじぃちゃんの涙をこらぇながらの最後の挨拶は本当に涙が止まりませんでした。 どんなにぉばぁちゃんの病状が悪くなっても返事がなぃぉばぁちゃんの顔に顔を近づけ『ん?どぅしたとね?そぅか〜』と笑顔で話しかけ、痩せた体が痛くなぃょぅにちょーフワフワの羽毛布団を用意し、自分は普通の布団でぉばぁちゃんの隣で寝て、寝たきりになってからも病院に入院するのは嫌だろぅと家での生活に決め、胃に通してぁる管からの食事のゃり方を看護婦さんから習ってずっとぉばぁちゃんとぃっしょにこの十数年間闘病生活を共にしてきました。
ぉじぃちゃんのぉばぁちゃんへの想ぃを考ぇると今でも涙が止まりません。
最後、棺の中のぉばぁちゃんに綺麗なピンクのユリの花を2本入れてぉ別れしました。
私は火葬の場を初めて経験しました。 ぉばぁちゃんは2時間かかって真っ白な骨になりました。
なんでぉばぁちゃんが病気にならんばと? なんも悪ぃことしとらんとに。 何で?何で? こんがんこと言ってもしょぅがなぃけど。 ぉばぁちゃんはずっとずっと病名もゎからなぃ病気と闘って生きてきて寝たきりになってしゃべれんくなって…幸せゃったとかな??
でもぉじぃちゃんと私たちの気持ちは伝ゎっててほしぃな。
私頭悪ぃけん、私がぉばぁちゃんの病気っきとめて絶対治療法発見してゃるけんね!!とは言ってぁげれんけど、ぉばぁちゃんの分まで私が絶対生きるけん!! 一生懸命生きるけんね!! 見とってね。
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