400万人が待ってるよ♪

三歳の時から、祖父母の家に預けられて、保育園の送り迎えや、その他身の回りの世話等祖父母がやってくれていた。

そんな私も小学三年生になり、当時付き合っていた父の彼女とその子供と一緒に暮らす事になった。

新しい生活のすたーととなった。

最初は、楽しかった。学校も、家でも。
学校では、クラスの子が優しくて、休み時間はいつも元気に遊んでた。
家も楽しかった。みんなでスキーやキャンプに行ってた。
四年に進級し、いつしか五年になろうとした時、家を引っ越す事になった。当然学校も転校しなければならなかった。
新しい学校に転校して間もなくいじめられるようになった…。学校では、毎日泣いていた。親には相談しなかった。するのが怖かった。
でも、六年になってからはいじめられなくなった。友達もできた。
だが、その頃から、義理の弟に対する不満が出てきた…。弟だけが、特別扱いされ、私はずっと不満だった…。
中学になり、バレー部に入ったがそこでも間もなくいじめの標的にされた。クラスでもあんまりいこごちが良くなかった…。
そうして、二年になろうとした。
家での生活は、ろくにテレも見せてくれなくなり、家の鍵も持たせて貰えず、毎日6時半には、家を出され土日も関係なくそんな感じの生活が続いた。家では机に向かってる方が多かった。もちろん強制的に。勉強しろ!と言われ、頭を小突かれ、牛乳一杯飲もうにも自分で入れようとすると怒られた。
やってないのに、弟のお金を盗んだだろ??と言われた。たまに、頭が痛くなり、それを訴えると仮病!!と言われた。
他にも辛いことが沢山あった。
それは、全て父が見てない所で行われていた。
だから、たまに友達の家へ泊まりに行った。
学校では、担任に話し合いをしたり、部活を休部したりした。
学校帰りも友達と過ごした。家ではたまに、隠れて漫画を読んだりしてた。
万引きにも手を出した。友達の家で金を盗み、その友達と一緒にゲーセンで使ったり、買い食いしたりした。悪い事とは知ってたが、その時は、それが楽しくてしょうがなかった。
他に楽しみがなかった。

そして、その生活が続いていた、ある日義理の親と、弟と離れて暮らす事になって、私は、父と暮らすってなった。
その時は嬉しかった。
今は楽しい。
私は一生恨むあの義理の親を…。


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