400万人が待ってるよ♪

私の家は昔、父の勤めていた会社が倒産しました。
バブル時代で何もかもお金に困る事なんてありませんでした。
バブルが崩壊して私達はどん底に落ちました。私が小4兄が小6姉が中1でした。悪夢は突然で旅行に行く予定だったのに母が電話でキャンセルしていたのを覚えています。そしてその夜中に私達は夜逃げをしました。近所の人達が出て行けといったのです。私はまだ小学生だったので呑気に「いつ帰ってこれるの?」「旅行みたいで楽しいね」なんて騒いでいました。その時の運転していた父の背中がなぜかとても小さく見えました。そして父の実家に着き親戚が集まっていて泣きながらおばぁちゃんが「離婚してくれてもいいんやで」と母に言いました。母は「私はこの人に何があっても一生ついていきます」目をそらさず泣きもせずに母は答えていました。そして住んでいる所から離れ車生活をして家族でホテルにも泊まりました。遠い親戚の家に隠れても住みました。落ち着いた頃に私達はおばぁちゃんの家にひきとられ父と離れての暮らしがはじまったのです。いつの間にか会話もなく私はいつも1人でした。転校する事になってイジメもうけました。
そして何年後にやっと家族で住める日が来たんです。私は転校を四回していました。やっと落ち着いたんですがその頃私は反抗期をむかえる年齢になって学校も行かず遊んだりケンカをしたり転校生でイジメられた経験があるからこそ愛想よくして強くなくてはいけないって思い込んでいたんです。母はそんな私をいつも怒っていました。私はいまさら親みたいに優しくすんなよとかいまさらやねんとか言って傷つけました。父はあの時から無口になって親子の会話もできなくなっていたんです。目を見て話す事が出来ませんでした。あれから11年が過ぎようとしています。私達の家は貸家になっていて違う家族が住んでいます。帰りたくても帰れない実家です。そして私は心に傷を残しているけど家族に支えられて友達にも恵まれて必死に生きています。

何度も死のうと思いました。どぉして私の家族だけって何度も何度も思いました。だけど母はいつもあの頃があったから今笑えてるんぢゃないって最高の笑顔で答えてくれます。兄弟もあの頃離れ離れになったけど支えあって今います。強い母が一度だけ泣いた事がありました。それはおばぁちゃん家に住みだした頃その時お父さんが単身赴任で離れ離れだった時に子供三人の前で「今まで仲良くしてきた人達がいきなり私達家族をせめて大切な場所がなくなってしまって迷惑かけてごめんね。お母さん強くなるから」そぉ言って母は綺麗な涙を流していました。それ以来母は泣いていません。時々過去に苦しめられる夢をみたり悲しくなったりするけど私の家族は世界一だって言えます。私の自慢は私の家族です。


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