400万人が待ってるよ♪

母が死んで今日で3ヶ月。
本当なら今頃は退院祝いをしてたはずなのに・・・。

胸腹部解離性大動脈瘤。19年前に発病してから、4度目の手術だった。
茨城では無理だからと千葉の病院を紹介され、そこの医者が「できる」と言ったので、同意書にサインした。

手術の日の朝、不安で泣き出しそうな私に、母は「大丈夫だから心配するな。ナオもお父さんと同じで心配性だから」と笑って言った。

予定時間は12時間。でも、10時間半で看護士に呼ばれた。
「結論から言うと心臓が動きません。原因はわかりません。今までこんなことはなかった。最善は尽くしましたがすみません」
要約するとそう言われた。
「今は人工心肺で動かしてますが、どうしますか?」
「・・・楽にしてやって下さい」

「兄貴、すまねえ、俺、妹殺しちまったよ!おっか殺しちまったよ!!」
父が叔父にそう言った。
「悔しいよう・・・!手術なんてしなけりゃよかった。同意書なんて・・・」
叔父に宥められながらそう繰り返した。

父が声をあげて泣くのをはじめて見た。祖母のときも祖父のときも、目を真っ赤にさせただけだった。

「本当に、また畑仕事ができるくらい元気にしてあげたかった」
何も知らない医者に言われ私はカッとなった。
うちは農家だが、母はもう何年も家の事をしてきただけだ。それだけで十分だった。
「そんなのっ!生きてて欲しかっただけだ!・・・生きてて欲しかっただけだよ」
叫んだら息ができなくなって、過呼吸というのになった。

それからはあまりよく覚えていない。ただずっと涙が止まらなかった。


お葬式、35日、49日、新盆、・・・。
3ヶ月で父は3キロ痩せた。私は体調を崩すことが多くなった。
きっと1番頑張ったのは姉だろう。

「手術しなくても、あと1年もったかどうか・・・」
後から医者にそう言われた。
「あと1年も生きられたのか・・・」
父はそう言った。

あの病院を紹介した医者。
「できる」と言った医者。
それを信じた自分。
全部が憎くて仕方が無かった。
毎日後悔ばかりで、でも誰にも言えない。

母が死んでから葬式までの私の泣き方は、異常なほどだったらしくみんなに心配される。
だから、一人のときだけ泣くようになった。

姉、叔母、従姉妹、母の親友が母の夢を見たと言った。父は夢さえ見れないとこぼした。私も同じだ。
「夢でもいいから会いたい。会ってお母さんに聞きたいことがある」
最近よく父が言う。

母が病気になった元の原因マルファン症候群。
3人で頑張っていこうっていったけど。

お父さん、ごめんね?

私もそれなんだ。
同じ病気になっても手術は絶対しないけど。
いつか先にお母さんのとこに行くと思う。
だけど、それまでは。お母さんの代わりに一緒に頑張るよ。

長くてすみません。


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