400万人が待ってるよ♪


〜あれから約1年半…


お元気ですか??
こっちはね、2007年になったよ。
あの時受験生だった私も、いま無事に高校生になったんだよ。

そっちの居心地はどうよ
まぁ、お母さんのことだから
のんびりやってんだろうね(笑)

『余計な事考えなくていいから、気が楽だわ〜』
とか言いながらね。
なんか想像つくよ普`



私の最愛の母の人生が変わったのが、今から4年前…
私が中学校に入学した4月のことでしたね。
普段から具合が悪くなることが多かった母に、病魔が襲ったのは…

すぐに入院しろ。とのことだったのですが、
娘の入学式にだけは出させてください。と医師に頼み込んで私の入学式に来てくれたのだ

[普通、式典は両親揃って来るもの。]
これが当たり前だと思っていた私は、まさかこの入学式が、両親揃って来る最後の式典になるとは思いもしなかった…


そのころ、正直、私はお母さんの病気にはあまり深刻さを感じていなかった

あとから父に聞いた話だと、そのころすでに余命がわずかしかない。と医師に宣言されていたらしい

そんな事など知るよしもない私は、お母さんのお見舞いに行くたびに悩みを相談したり、馬鹿みたいに笑いあったりしていた

そして、いっつもお母さんのちょっとはにかんだ笑顔に元気をもらっていた。

『こんなに元気そうなんだから、すぐに退院できるね普x
なんて、気軽にそんな事を思いながら…
毎日を過ごしていた

今思えば、その笑顔の裏にあの時からお母さんは辛かったんだよね??
それを私に見せないように必死だったんだよね??
それに気がつかなくてごめんね…

それから月日はたち
お母さんは入退院を繰り返しながら、それでも私の前では弱いところを見せなかった。
いつも笑顔でいた

たまに頭痛がする時があったくらいで、びっくりするほど元気だった。
ただ、それは私が知らなかっただけかもしれない
私はお母さんの元気な姿しか見てないから、
『なんだ、元気じゃん!!もう病気は治ったようなものだな!!』
なんて、
もはや私は、お母さんが病気であることなど嘘のように思えてならなかった


『なんで、こんなに元気なのに注射なんて打つの??』
『なんで、こんなに元気なのに検査なんかするの??』
なんで…??

こんな軽い気持ちの私が
お母さんの病気を実感した出来事が、中学3年のころ
ちょうど修学旅行に行く直前に、お母さんが突然の痙攣を起こし、もうダメか…
というところまで衰弱していたらしい。
私は修学旅行に行きながらも、心配で心配でしょうがなかった。


修学旅行から帰り、病院に直行したところ
幸い回復していて、修学旅行の写真を見てケラケラ笑うまで元気になっていた

それからはこんなことが何回も起こり、ICU(集中治療室)と普通病棟の行き来を繰り返した

夏休みには、受験生だった私と兄は毎日かわりばんこに病院に来ては、病室で受験勉強に励んでいた。


それまでは外出許可をもらっては、うちに帰って愛犬を散歩させたりして
という余裕があったが…

夏休みが終わるころくらいから、外出はおろか、歩くことも困難になり、だんだん衰弱していく姿が目に見えてわかった

それでも最初のうちは笑顔を忘れなかったお母さんが、弱音を吐くようになった…

それがなんとも悲しくて、涙が溢れてしまう日々が続いた。




そしてその日は、あまりにも不意にやってきた…
朝早くにきた一本の電話に私は起こされた。

それは病院からのお母さんの訃報を告げる電話だった

え…??
なに…?
なんで…?
とにかく不意な出来事だったから、頭が錯乱してしまい

病院に向かったところ…
お母さんは静かに目をつむっていた。

訳もわからずただ泣きじゃくった…
もちろん悲しかったが、
なんで??
という気持ちのほうが勝っていた。

絶望…

しばらくボーっとしていた
実感がなかった

寒い2月のことだった…



それからは
父、兄、私、愛犬の生活が始まった
とはいえ、お母さんの入院生活が長かったため、こんな生活は慣れっこだったけど
大切な家族をひとり亡くしたんだ…
という現実を信じたくなかった。

突然涙が出て来ることが何度もあった

お母さんの夢を何度も見た
ただ、それが目覚めると
一気に寂しくてたまらない気持ちになってしまった



ねえ、お母さんはこの家族で幸せだった??
最期を迎えるのがこの家族でよかった??
私が娘でよかった??


私はお母さんでよかったって思うよ。

だから、ずっとずっと見守っててよね!!
絶対だよ!!


この家族の心なかで永遠に、生き続けるよね

DEAR お母さん…
だいすき


泣けたらクリック