400万人が待ってるよ♪

本当にバカだよね。どうしようもない娘だよね。

私の家は小さなアパート。
見るからに狭そうな、安そうな古いアパートだ。
幼い頃は何も気にせず、その日に起きた楽しい出来事を、お母さん、お父さんによく話してた。とにかく、笑いのたえない家族だった。

中学生になった私は友達も増え始め、“遊び”に執着する様になった。
門限にはうるさい親だったから、時間を過ぎて帰宅した日には怒鳴られる事も多々あった。友達からは「A(私)の家ってまじ厳しいよね〜あんたの親、子離れできてなくね?」と言われたり…そんな些細な事から私は親に反発する様になった。「こんな厳しい家、うちだけだから!ありえない」と、家を飛び出す事もあった。もう頭の中には友達と遊びしかなかったから、親の心配もお構いなしに、とことん遊びまくった。
お母は小さいくせに必死で泣きながらかかってきた。

遊ぶ金欲しさに、親の給料袋から20万パクった。ピアスもたくさん開けたし入れ墨も入れた。入れ墨に気付いた時、お父は無言だった。お母はしばらく黙って小さな声で「消毒とかはしたの?大丈夫なの?」と聞いてきた。ただただ、今まで見た事ないくらい悲しい顔してた。でもあたしバカだから薬にも手出した。あんたらが育ててくれた体、関係ない他人もたくさん傷付けた。あたしは一生消せない傷をたくさん作った。

それからも色んな衝突を繰り返し、私は18になった。
私が変わるきっかけになったのは、親の金をパクろうとして引き出しを開けた時、私が家出をする時に親宛てに”こんな家うんざり。しばらく帰らないから探さないで“と書いた手紙と母子手帳を見つけたことだった。あたしの名前、生まれた時の体重、風邪をひいた日とか、とにかく細かく書いてあった。それ見た瞬間、誰もいない小さな部屋で、大声で泣いた。小さな声でごめんなさいと何度も呟いた。
それから私は働くようになり、お金の大切さ、働くことの大変さなどがわかった。これからは少しずつでも親孝行をしなくては…と、日々まじめに頑張っています。


長文、雑な言葉ですみませんでした。


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