400万人が待ってるよ♪

私の両親は私が3歳のころから共働きで家にいませんでした。なかなか帰ってこない両親をよく玄関で待っていたものです。
だから、小学校の入学式も参観日も来てくれはしませんでした。それまでは我慢できたんです。
けど一番ショックだったのは体育祭にもきてくれないということでした。

はじめは父が一人で来ていました。けど、それもなくなって。祖父母たちがきたんです。
一度も両親が来てくれていなかった私は体育祭が嫌いで、ほとんどの種目を休んでいました。そしてお弁当の時間。ふたをあけるとそこにはたくさんの赤飯が入っていました。
私はそれを見たとたん泣いてしまいました。周りの子たちのお弁当にはたくさんのおかずがあって、彩りもよくて。
なのに私のお弁当は赤飯だけだったんです。それがむなしくて。すごく恥ずかしくて。私は「いらない」と、食べずに泣き続けました。


そのことを祖父母が両親に話したのでしょう。私のお弁当は毎日いろいろな種類が入るようになりました。タコウインナーやハートの卵焼き。色とりどりになりました。


私は今でもあの赤飯だけのお弁当が目にやきついてはなれません。あとから母に聞きましたが、祖父母は私の体育祭を楽しみにしていたようで、あの赤飯も一生懸命つくっていたそうです。昔ながらの人だから、あの赤飯が本当に最高のおご馳走のつもりだったのでしょう。
そんなことにも気がつかなかった私。今でも悔やんでいます。


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