私は2歳の時に母親が出て行き、一緒に過ごした記憶がない…
公務員の父は不規則なシフトの為、子育てなんてしてる余裕のない人でした。 そんな私を育ててくれたの祖母。2コ上のお兄ちゃんと2人だけの兄妹。あまり厳しくない祖母に甘えまくりの私は反抗期を迎え、夜遊びをするようになりました。 最初の内は1日家を空ける程度だったのですが、その内エスカレートして半年家に帰りませんでした。言わば、家出です。 でも久々に家に帰ると、何もなかったかのように接してくる祖母。《なんだ。心配なんてしてないんだ…》そんな気持ちになりました。
こんな私だからもちろん高校にも行けず、父の反対を押し切り家を出て夜の世界へ…
それから5年…一切連絡の無かった父から突然の電話。
「ばぁちゃんが倒れた」
その一言にビックリした私は父に教えてもらった病院へ…
口に管を通され何本もの点滴をされモニターが付けられた祖母。弱々しく身動きすらとらない…
その姿に涙が止まらなかった。
祖母が目を開けた。 口に管が通ってる為しゃべれないらしく、私の手を取り文字を書き始めた。
《げ・ん・き・し・て・た・?》
何で?こんな状況で私の事を気にしてるの?
また涙が溢れてきた。
病室を出た私を父が待っていた。
「お前が出て行ってから1番気にかけてたのが、ばぁちゃんだったんだ。昔お前が家出した時だって、お前がいつ帰ってきても1人じゃないようにほとんど毎日寝ずに待ってたんだよ。もうこれ以上、ばぁちゃんに心配かけないでくれ…」父が言った。
私は祖母を誤解してたんだ…心配してくれてたのに、私が突き放してたんだ…
本当にごめんなさい。
それから半年。
祖母は奇跡的に回復し退院した。リハビリのお陰で少しは歩けるようになったが、ほぼ寝たきりで酸素ボンベから酸素を吸引しなければ呼吸が出来なくなってしまう…
そんな祖母に今私が出来る事。親孝行ならぬ祖母孝行。
と言っても、実は妊娠中な為力仕事はあまり出来ないけど、そばにいて今の私に出来るだけ祖母のお世話をしてあげる。
祖母に曾孫を抱かせてあげたいから、名前を一緒に考えたいから…どうか長生きしてください。
今まで心配ばかりかけて本当にごめんなさい。
こんな私を育ててくれてありがとう、ばぁちゃん。
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