400万人が待ってるよ♪

これから読んで頂く投稿内容は約2年半程前に亡くなった祖母の話しです。僕の家庭は両親の仲が悪く両親は中1の時に離婚しました。僕の兄弟は5人も居て母が女手一人で子育てをしてくれました。中2の頃に色々あって僕等家族は隣町に有る母方の祖母の家に住む事になりました。母いわく母は小さい頃に祖母から捨てられ祖母に対し余り良い思いをしてなかったからか二人の仲は良くありませんでした。実際に、その事を聞かされてたからとは関係なく僕を含む兄弟達も祖母とは、そこまで良い仲では有りませんでした。何故ならば祖母は口うるさく、やたら構わず嘘をつく人だったので家族からは信頼的な物が失われていたと思われます。それから約一年半ほど経ち家族も祖母と仲良くなれた頃母に新しい彼が出来た事から家族の住まいがバラバラに成るようになりました。先ず母と弟が家を出て兄達が出たり入ったりを繰り返し気が付いた時には僕一人が祖母の家に僕も家を出ようと思えば出られたのですが高校生になった僕には通っていた高校が近い事もあり又思春期の僕には祖母の家が色々な意味で居心地が良く僕が家を出ていく事はありませんでした。なので当時祖母の家に住んで居たのは正式には僕と祖母の二人後毎日の用に祖母を面倒見てくれてた伯父さん。この人は住んでいた訳ではなく近所から通いで。兄弟は相変わらず都合の良いように出たり入ったりを繰り返し。。話は外れ僕は高2の終わりに学校を退学になりました。歳で言えば17の時でした。すぐに僕は職人として仕事を始めました。その頃から親父くさいですが競馬にハマる用になりました。最初は細かな金で賭けていたのですが段々と金額は大きくなりヒドイ時は給料約20万を3日で使うくらいでした当然家賃や生活費的な物が不足に成りはじめ祖母から金を借りる用になりました。まぁ必ずに近いほど決められた期日までには返済していたし多額では無かった為苦しめるまでは、いかなかったと思われます。金が無い僕でしたが競馬の事だけは譲れませんでした。その僕が競馬に行けないと祖母は金貸してやるから勝負してこい。当たったら返せば良いからと僕によく金を貸してくれました。そんな時が経ち僕も職を替え2年が経ち環境的な物にも変化が出てきました。僕は余り祖母から金を借りなくなり一軒家丸々使用していた半分1Fを飲食店として貸す為祖母と僕は余った2Fだけの使用となり、その日が来ました当日祖母は2Fに行くのは嫌だよと言いながら移動を始め完全に2Fだけの生活に成ってから少し経った日祖母の体調が崩れる用になりました。余ほど嫌だったのか本当に元気も無くなっていました。それから何日か経ち夜勤明けに帰った僕を祖母が待っていて睡眠を取りたい為に僕は祖母を嫌うように祖母の寝室の隣部屋で布団に潜る用に寝始めました。すると数分後に祖母の呼び声が僕の名前を呼んでいる用です。眠い目を開け祖母の部屋へ。なんだよ・・・祖母は苦しいと言い始めました。僕は祖母に何言ってるんだと述べながらも祖母に頼まれ祖母の背中をさすり始めました。どうだい?祖母から返って来た言葉は苦しい死にそうな気分だと言う言葉でした。僕は言い返しました。ふざけんなよ。死んだ事も無いのに何が死にそうなだと。欠かさず言い続けました。だからバァさんは皆から信用されないで嘘つきって言われるんだ。そんな苦しいなら救急車呼んでやろうか。と少し大きめの声で怒鳴るように。祖母は話さなくなり分かったから少しだけ背中を、さすってくれとだけ言われさすり続けました。20分くらいして。祖母は大丈夫ありがとぅ。と言い僕に、こう言いました今日一日は出かけないで家に居てくれと。僕も真面目に側に居てあげられる事は出来たのですが携帯の充電気を人の家に忘れ取りに行く用があったので断り。すぐに準備にかかりました。気ずけば金が有りません。祖母の部屋に戻り。バァさん金貸してくれないか?数分前に、あんな事があった後に悪気は無かったが、どうしょも無かったのです。バァさんは小さなコインケースから唯一持っていた3千円の内2千円を貸してくれると言いましたが僕は断り片道のバス代とタバコ代だけを借り部屋を出ていこうとしました。その時何故だか分かりませんがバァさんの体調財布の中の3千円から金を借りるバカ孫情けなくなり情けなくなりバァさんに対し悪い思いでイッパイになり泣けてきてしまって。。。出口で涙を流しながらバァさんゴメンなゴメンな必ず借りた500円玉返すからと言い僕はバァさんを残し部屋を出ました。それから2日後祖母は何の病名も無い寿命で他界しました。僕はガキの用に声を出し泣きまくり鼻水もふけないほど泣きまくり祖母との2日前の事を思い出しました。涙が止まる事はありませんでした。街中で泣くときもあり。風呂場で崩れ落ちる用に泣くときも有り何にしても泣き続ける毎日を送る事となり辛い日が続きました。しかし泣いてもダメで僕が泣く日は次第に少なくなりました。僕が祖母に返せなかった500円玉いつか返せたらと今は思ってます。それは人生において色々な意味で。僕が語った話し分かる人も居れば分からない人も居るだろう。只最後に一言だけ・・・今周りに体調を崩されて居る方が居たり。この先、そういう人が周りに居たら出来るだけ側で優しく離れないでいてあげて下さい。お願いします。大変長々長文所々理解不能な文。お許し下さい。皆様が、この内容を読んで頂き。読んで頂いた後心に残るもの目標となる一歩が踏み出せて頂いていれば幸いに思います


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